テンス·アスペクト
古語においてテンス·アスペクトを表す形態には、次のようなものがあります。
(1) ɸ形·ツ形·ヌ形·リ形·タリ形·キ形·ケリ形
「ツ形」以下は、それぞれ動詞に助動詞「つ」「ぬ」「り」「たり」「き」「けり」が付いたもの(有標形式 marked form)、「ɸ形」は動詞にそれらの助動詞が付かないもの(無標形式 unmarked form)です。二次的には、これらの助動詞が複合した、「て-き」、「に-き」、「に-けり」等の形があります。また助動詞「む」は、時制専用の助動詞ではありませんが、未実現の事態(未来)を表示します。
(1)にあげる各形式が、それぞれどのようなテンス·アスベクト的意味を表すかは、未だよく分かっていません。(1)の有標形式は相互承接のありようから、次の三類として捉えられます。
A ツ形·ヌ形
B リ形·タリ形
C キ形·ケリ形
なぜなら、「つ」と「ぬ」、「り」と「たり」、「き」と「けり」は互いに重ねて用いることが出来ないのに対し、 AとB、BとC、CとAの各語は重ねて用いることが出来るからです。
- AとB(リツ、タリツ、リヌ、ニタリ)、BとC(リキ、リケリ、タリキ、タリケリ)、CとA(テキ、ニキ、テケリ、ニケリ)の承接例はすべて『源氏物語』に例があります(リ-ヌは「殿の内には立てりなむはや。」(常夏)が唯一例です)。
- 上記ABC内の各語が重ねて用いられることは原則としてありませんが、『源氏物語』には「ぬべかりつ」という承接例が三例、「しなりけり」という承接例が二例あります(これは「ぬべし」「なりけり」が複合辞化していることを示しています)。
- テ-ケリは中古では普通にみられますが(『源氏物語』に八〇例存します)、上代では存在しない複合でした(「八つ峰の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君」(万4481)が上代の唯一例です)。
(1)の有標形式について、「む」の下接、「ず」の上接·下接の可否を『源氏物語』で検すると、次のようです。
| つ | ぬ | り | たり | き | けり | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 「む」下接 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | × | × |
| 「ず」下接 | × | × | 〇 | 〇 | × | × |
| 「ず」上接 | 〇 | × | × | × | 〇 | 〇 |
この表から、
- キ形·ケリ形は未実現を表す「む」を下接できないこと
- ツ形·ヌ形·キ形·ケリ形の表す事態は、取り消すことのできない現実性を有していること
- 打消された事態はヌ形·リ形·タリ形をもたないこと
の諸点が指摘されます。
- 次例➀➁のような「なず」「てず」は極めて例外的な承接例です(いずれも反語の例で、結果的に事態は肯定されます)。 ➂のような「なで」は少数例存します。
道知らで止みやはしなぬ相坂の関のあなたは海といふなり(後撰786)
かくながら散らで世をやはつくしてぬ花の常磐もありと見るべく(後撰·新編国歌大観本95)
潮に濡れたる衣をだに脱ぎかへなでなむ、こちまうで来つる。(竹取)
ツ形·ヌ形
「つ」は下二段活用、「ぬ」はナ変の助動詞で、共に用言の連用形に接続します。「つ」は動詞「棄(う)つ」が語頭母音消失(aphesis)を起こして文法化したもの、「ぬ」は動詞「往(い)ぬ」が語頭母音消失を起こして文法化したものと言われます(文法化 grammaticalization とは、実質的意味を持つ内容語が、助詞や助動詞等の機能語に変化することです)。「つ」「ぬ」は完了化辞です。
ɸ形が不完成相を表すのに対して、ツ形は完成相を表します。
(1) [犬が]死にければ、陣の外(と)に引き捨てつ。(枕6)
(2) 雀の子を犬君が逃がしつる。(源·若紫)
- 中古以降、キ形が発話当日中の過去を表すことがなくなったため、中古以降のツ形は発話当日中の過去をも表します。
「[時鳥ノ声ヲ]一夜聞きき。この暁にも鳴きつる」と言ふを(蜻蛉)
昨日は、などいととくはまかでにし。[今日ハ]いつ参りつるぞ。(源·紅梅)
「その馬は一昨日までは候ひしものを。昨日も候ひし。今朝も庭乗りし候ひつる」なンど申しければ(平家4)
- 上代では、「今朝降りし淡雪に」(万1436)、「今朝鳴きし雁に」(万1515)、「今日降りし雪に」(万1649)のような例があります。なお、昨日以前の事態でもツ形は用いられます。
- 難波より昨日なむ都にまうで来つる。(竹取)
ヌ形のアスペクト的意味については諸説ありますが、恐らく、変化の実現を表す、といってよいと思われます。
(3) 熟田(にきた)津(つ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(万8)
(4) 秋は来(き)ぬ紅葉はやど(=庭)に降りしきぬ(古今287)
(5) 月出でぬ。桂川、月の明きにぞわたる。(土佐)
変化に時間的な幅がある場合、変化の始発の局面も、変化の完成の局面も表します。例えば、
(6) a 渡守、「はや船に乗れ、日も暮れぬ」と言ふに(伊勢9)
(6) b はかなく暮れぬれば、その夜はとどまり給ひぬ。(源·玉鬘)
(7) a 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今169)
(7) b 秋は来ぬ今やまがきのきりぎりす夜な夜な鳴かむ風の寒さに(古今432)
(6a)(7a)は変化の始発の局面、(6b)(7b)は変化の完成の局面です。従って前者のヌ形は「変化の発生」と、後者のヌ形は「変化の完成」と捉えられます。
ここで、「寝る」に対して「寝入る」、「恋う」に対して「恋に落さる」などのアスベクト的意味を起動相(inceptive)と呼べば、ヌ形は起動相を表す、という理解もできるだろうと思います。次例では、ツ形(完成相)とヌ形(起動相)との差が明瞭に現れています。
(8) [良少将ハ]法師にやなりにけむ、身をや投げてけむ。
多の場合、他動詞·意志動詞·主体動動詞はツ形を、自動詞·無意志動詞·主体変化動詞はヌ形をとる傾向にあります。但しこれには例外も有って、例えば(9)では、他動詞·意志動詞·主体動作動詞の「[私ガ文ヲ]取る」がヌ形を、(10)では、自動詞·無意志動詞·主体変化動詞の「[雀ガをかしう]なる」がツ形をとっています。
(9) 「[文ヲ誰ニ差シ上ゲタラヨイノカ]もてわづらひ侍りつるを、例の、[中君ノ]御前にてぞ御覧ぜむとて[私ガ文ヲ]取り侍りぬる」と言ふも(源·浮舟)
(10) [雀ガ]いとをかしうやうやうなりつるものを。(源·若紫)
ヌ形は(3)-(7)のように、自然推移的事態を表すことが多いのですが、次例(11)のように、未実現の人為的·意志的動作がヌ形をとることも有ります。
(11) 「翁(=私ハ)いたう酔ひすすみて無礼(むれい)なれば、まかり入りぬ(=引込ンデシマウヨ)」と言ひ捨てて入り給ひぬ。(源·藤裏葉)
この場合の「まかり入りぬ」は「まかり入りなむ」と同意といえます。
同じ動詞がツ形もヌ形もとることがあります。その場合ツ形は完成を、ヌ形は起動相を表します。
(12) a 我が袖に降りつる雪も流れ行きて妹が手本(たもと)に(=アノ娘ノ袖ニ)い行き触れぬか(万2320)
(12) b 梓弓おして春雨今日降りぬ明日さへ降らば若菜摘みてむ(古今20)
(12a)は「降った」、(12b)は「降るようになった」の意、
(13) a 「さらに知られじと思ひつるものを」とて、髮を振りかけて泣く[物ノ怪ノ]けはひ、ただ昔見給ひし物の怪のさまと見えたり。(源·若菜下)
(13) b 思はぬ人におされぬる宿世になむ、世は思ひの外(ほか)なるものと思ひ侍りぬる。
(13a)は「決して本性は知られまいと思っていたのに(つい本性を現してしまった)」、(13b)は「この世は思いがけない成り行きになるものだと思うようになった」の意と考えられます。
「あり」は実現している場合にツ形を、未実現の場合にヌ形をとります。
(14) 夢の中(うち)にも父帝の御教へありつれば(源·明石)
(15) をかしきことなどありつらむかし。(源·玉鬘)
(16) 明らかなる所(=極楽浄土)にて、また対面はありなむ。(源·若菜上)
従って、「あり」のヌ形は、「ありな-む」「ありぬ-べし」「ありな-まし」の語形をとります。(17)のような「ありぬ」も未実現で、「ありなむ」と同意です。
(17) おのづから、人にまじらひ、さる方に(=ソノ立場ニ)なれば、さてもありぬかし。
- 『土佐日記』の「かかること、なほありぬ(=コノヨウナコトガ、ナオ以後モアッタ)。」は後日この日記が構想されたことによる表現です。
テキ形は過去の時点における完成相、ニキ形は過去の時点における起動相、テム形は未来の時点における完成相、ナム形は未来の時点(または仮想の時空)における起動相を表します。
(18) いとねぶたし。昨夜(よべ)もすずろに起き明かしてき。(源·浮舟)
(19) [侍従ハ]にはかに胸を病みて亡せにきとなむ聞く。(源·橋姫)
(20) つとめてのほどにも、このは縫ひてむ。(源·浮舟)
(21) 少し秋風吹きたちなむ時、かならず逢はむ。(伊勢96)
ツ形、ヌ形はともにテンスではありませんから、時制的には、(22)(23)のように過去時にも、(24)(25)のように未来時にも用いることができます。
(22) 見つとも言ふな会ひきとも言はじ(古今649)
(23) 「絶え入り給ひぬ」とて人参りたれば(源·若菜下)
(24) かくながら身をはふらかしつるにやと心細う思せど(源·明石)
(25) 「心深しや」などほめたてられて、あはれ進みぬれば、やがて尼になりぬかし。(源·帚木)
形容詞·形容動詞にアスペクトはありませんが、古代語の場合、形容詞·形容動詞にもツ形、ヌ形があります(形容詞·形容動詞のヌ形は、「あり」と同じく、すべて「なむ」「ぬべし」「なまし」の形で現れます)。
(26) [頼ミ事ガアッテ貸ソウト]思すなれば、給はらむに(=オ貸シイタダイタラ)わづらはしかりなむ。(蜻蛉)
(27) さやうにて(=女三宮ヲ出家ノ人トシテ)見奉らむはあはれなりなむかし。(源·柏木)
(28) 「何人ならむ。げにいとをかしかりつ」と、ほのかなりつるを、なかなか思ひ出づ。(源·手習)
形容詞·形容動詞のヌ形は、未来時(または仮想時)における状態の發生を、ツ形は接近した過去の時点における状態を表すかと思われます。
- 次のようなツ形は、扱いの難しい例です。
- 今御宇(あめのしたしら)しめしつる[豆留]天皇に授け賜ひて(続紀宣命3)
上代特殊仮名遣
奈良時代、「ユキ(雪)」のキと「ツキ(月)」のキとは異なる音でした。「キミ(君)」「キノフ(昨日)」のキは「雪」のキと同じ音、「キリ(霧)」のキは「月」のキと同じ音で、「霧」などのキの音との、二つの音韻に分かれていました(それぞれが具体的にどのような音だったのかはわかりませんので、仮に一方をキ甲、一方をキ乙とします」。同様に、「コヒ(鯉)」のヒと、「コヒ(恋)」のヒも異なる音でした(これも一方をヒ甲、一方をヒ乙とします)。このようにして、甲乙二種がたてられる奈良時代の音節は、キヒミケヘメコソトノモヨロの一三(およびその濁音)におよびます。キ甲とキ乙、ヒ甲とヒ乙、それぞれに発音が異なるのですが、橋本進吉は、この二類相互の関係を考察して、四段活用の連用形に表れるキヒミ、および四段活用の命令形に現れるケヘメを甲、現れない方を乙と仮称しました(キの二類をキ甲とキ乙、ヒの二類をヒ甲とヒ乙とすることと、キ甲とヒ甲を「甲類」と纏めることの間には、飛躍があることに注意してください。なお、コ·ソ·トなどオ列音の二類については「相互の対応関係を見出するが困難」としながらも、恐らく万葉仮名の漢字音に依拠して甲乙の分属を行ったようです)。キ甲をki₁、キ乙をki₂のように書きます(ニは甲乙の別がありませんからniと書きます)。また、ア列音を表す便宜的符号としてaを用い、同様にイ列甲をi₁、イ列乙をi₂と書きます(甲乙の別のない場合、甲乙の別を問題としない場合には単にiと書きます)。このような奈良時代の音韻体系によって動詞の活用表を書くと、次のようになります(甲乙の別のある部分だけ表示します)。
| 未然形 | 連用形 | 終止形 | 連体形 | 已然形 | 命令形 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 四段活用 | -i₁ | -e₂ | -e₁ | |||
| 上一段活用 | -i₁ | -i₁ | -i₁ru | -i₁ru | -i₁re | -i₁yo₂ |
| 上二段活用 | -i₂ | -i₂ | -i₂yo₂ | |||
| 下二段活用 | -e₂ | -e₂ | -e₂yo₂ | |||
| カ行変格活用 | ko₂ | ki₁ | ko₂ |
「あり」が、i₂、e₂の後に付けることができなかったのは、恐らくi₂、e₂という母音が合成母音であることに起因するようです(e₁、e₂、i₂、o₁はia>e₁、ai>e₂、ui>i₂、o₂i>i₂、ua>o₁のような過程で出現した合成母音と考えられます)。
リ形·タリ形
動詞のリ形は、動詞の連用形に「あり」が付いた姿です。動詞「咲く」「す」に「あり」を付けると、 saki+ari>sakari、si+ari>siariになりますが、奈良時代以前の日本語では母音の連続は避けられ、 iaは一音化してeに変わるのが普通でした。そこで、 sakiari、siariはsakeri、seriと変化することになります(稀に「持ち+あり」->「持たり」のように変化した例もあります)。このsakeri、seriを、仮名を使って「咲けり」「せり」と表記すると、「咲け」の形が動詞「咲く」の已然形として、「せ」の形が動詞「す」の未然形として存在するために、 見かけ上、「動詞の一活用形+り」のように分析されることになります。助動詞「り」はこのようにして分出されたもので、「り」が「四段活用動詞の已然形、およびサ変動詞の未然形に付くと說明されるのも、以上のような理由によるものです。上一段動詞「着る」やカ変動詞「来」にも「あり」が付き、 ki+ari>kiari>keriのようになったのですが(「我が着(け)る[家流]妹が衣の」万3667、「使ひの来(け)れば[家礼婆]万3957)、この場合は、「けり」の「け」という形が上一段およびカ変の活用形にないため、「り」を分出することができず、「けり」は「着(け)り」「来(け)り」という一語の動詞として扱わざるを得ないことになります。
「あり」は以上のように動詞の連用形に付いたのですが、i₂、e₂という母音の後には付けることがでけなかったようです。そこで、i₂またはe₂の後(つまり上二段と下二段の連用形の後)には、助詞「て」を介して「あり」が接続しました。
(1) 島のむろの木離れてある[波奈礼弖安流]らむ(万3601)。
このような「てあり」から「たり」が成立します(記紀歌謡には「り」は用いられていますが、「たり」はみません)。
(2) 皆人の得がてにすといふ安見(やすみ)児得たり[衣多利](万95)
この「たり」は、「り」と異なり、どのような動詞にも接続することができるので、中古和文では種種の語について広く用いられているようになりました。『万葉集』では「り」が五七四例、「たり」が一七三例用いられていますが、『源氏物語』では「り」が三四二〇例、「たり」が四三四八例用いられており、「たり」が増大していることが知られます。タリ形とリ形では、文法的に有意な差はないといわれます。(3)は、同じ動詞がリ形とタリ形をとった例です。
(3) 四季の絵書けるうしろの屛風に書きたりける歌(古今357詞書)
「たり」の勢力が増大する一方で、リ形は「給へり」という形に偏在し、それ以外は用いられなくなっていきます(例えば『狭衣物語』では「り」全七六三例中、「給へり」の形が七二〇例(九四パーセントを占めています)。
- 「り」の衰退期には、「汝、知れりや忘れりや」(平家3)(この「忘る」が四段活用と考えることもできます)、「現(あらは)に見えるに」(今昔25-5)のように、誤って下二段活用に「り」が接続した例がみえます。
- サ変のリ形は訓読文で用いられ、中古和文では普通用いられません(『源氏物語』では「面がはりせる」が二例みられるだけです)。
- 「たり」は「てあり」から生じたのですが、次例のような「てあり」は、上代の「たり」では表現できないものと思われます。
「吾(あれ)は、いなしこめ(=ナントモ醜イ)、しこめき穢(きたな)き国に到りてありけり[而在祁理]。故(かれ)、吾は、御身の禊(みそぎ)をせむ」とのり給ひて(記)
今年の六月十六日の申の時に、東南の角に当りて、いと奇(あや)しく異(こと)に麗はしき雲、七色相交りて立ち登りてあり[天在]。(続紀宣命42)
- 「春過ぎて夏来たるらし」(万28)、「人来たれりと」で、「来(く)」のタリ形とは別語です(ただし両者の区別は困難な場合が多くあります)。
「り」「たり」は、状態化辞で、既然相(過去に起こった事態が今に継続存在していること)および状態(単にある状態で存在していること)を表します。状態化辞は状態動詞にはつきません(従って、「あり」はリ形·タリ形をもちません)。
(4) 我が里に大雪降れり大原の古(ふ)りにし里に降らまくは後(万103)
(5) 大和の春香具山は日の経(たて)の大き御門に春山と(=春山ラシク)しみさび(=茂リ栄エテ)立てり(万52)
(6) 住吉(すみのえ)の岸に向かへる淡路島あはれと君を言はぬ日はなし(万3197)
(7) ひさかたの月は照りたり暇(いとま)なく海人(あま)のいざり(=イサリ火)は灯(とも)しあへりみゆ(万3672)
(8) 沖つ波辺波静けみ漁りすと藤江の浦に舟そ騷ける(万939)
- (8)は一見進行相のようにみえますが、これは「ずっとこの町に住んでいる」のような成立持続的なもので、リ·タリ形には、「本を読んでいる」「食べている」のような動的(dynamic)な進行相の例は見出しにくいことが指摘されています。「本を読んでいる」「食べている」のような進行相(不完成相)は、古代語では、ɸ形で表されます。
- 「あり」のリ形の例、「王璹(わうじゆ)を縛(いましめ)てあれるを解かしめて」(今昔9-34)は違例です。
リ·タリ形は、事態の継続存在に重点のある表現ですから、強いメノマエ性(事態が話者の眼前(<今·ここ>)に現れていること)をもっています。従って、移動動詞のヌ形(起動相)が、<ここ>を出発点とし、移動主体が<ここ>から消失することを表すのに対し、移動動詞のリ·タリ形(既然相)は、移動主体が移動してきて<今·ここ>に存在していることを含意します。
(9) 例の、弁の君、宰相などのおはしたると[一条御息所(落葉宮ノ母)ハ]思しつるを、いと恥づかしげに清らなるもてなしにて、[夕霧ガ]入り給へり(=入ッテ来ラレタ)。(源·柏木)
(10) いぎたなかりつる人々(=女房)は、かうなりけり(=大君ト薫ガ契リヲ交シタノダ)とけしきとりてみな入りぬ(=皆奥ニ入ッテシマッタ)。(源·総角)
鈴木泰は、このヌ形とリ·タリ形の違いが、場面展開の上にも現れるという興味深い指摘をしています。
(11) かの大将殿(=薫)は、例の、秋深くなりゆくころ、[宇治行キハ]ならひにしことなれば、寝覚め寝覚めに[亡キ大君ヲ]もの忘れせず、あはれにのみおぼえ給ひければ、みづから[宇治ニ]おはしましたり。(源·東屋)
(12) 「……」と[紫上ガ匂宮ニ]聞こえ給へば、[匂宮ハ]うちうなづきて、[紫上ノ]御顔をまもりて、涙の落つべかめれば、[匂宮ハ]立ちておはしぬ。(源·御法)
(11)では、移動動詞のリ·タリ形が、新たに始まる場面を始発させるものとして、(12)では、移動動詞のヌ形が、場面を終結させるものとして用いられています。
その他のアスベクト表現
次例のような「~をり」も進行相を表す形式として用いられました。
(1) [かぐや姫ヲ]え止(とど)むまじければ、たださし仰ぎて泣きをり。(竹取)
この「をり」は、変化動詞「ゐる」(じっとする)の状態形で、中古にはやがて「ゐたり」と交替します(中世には卑語化します)。中古には、上代にはなかった「~てゐたり」という形式も現れますが、原義である「~してじっとしている」の意が強く、純粋に進行相を表す補助動詞としては確立していません。
(2) 入道、例のよろこび泣きしてゐたり。(源·澪標)
「~はじめる」「~おわる」のように運動の局面(phase)を表す動詞を局面動詞といいます。古代語では、次のような形式があります。
(3) 雪間の草若やかに色づきはじめ(源·初音)
(4) 春雨に争ひかねて我がやどの桜の花は咲きそめにけり(万1869)
(5) 藤波の咲きゆく見ればほととぎす鳴くべき時に近づきにけり(万4042)
(6) 雷(かみ)すこし鳴りやみて、風ぞ夜も吹く。(源·須磨)
(7) 花の木ども散りはてて(枕37)
- 中古和文では「~をはる」という言いかたはありません。
日本語の動詞は、一般に結果の含意がないので、「開けても開かなかった」「溺れたけれど助かった」のような表現が成立します。
(8) [袴ヲ]取らするを、[侍女ハ]取らず。(古今説話集54)
(9) 大臣、押し放ち引き寄せて見給へど、[老齢ノタメ]え見給はで(落窪)
(10) 遣戸開くるに、いとかたければ、…押し引けど、内外(うちと)に詰めてければ、摇るぎだにせず。(落窪)
次例の傍線部の動詞も「try to」の意です。
(11) 助、「馬槽(むまぶね)(=馬ノ飼葉桶)しばし」と借りけるを、[頭ノ君ハ]例の文の端に、「助の君に、『ことならずは(=私ノ頼ミ事ガ成就シナケレバ)、馬槽もなし(=オ貸シデキマセン)』と聞こえさせ給へ」とあり。(蜻蛉)
(12) 親のあはすれども聞かでなむありける。(伊勢23)
- 上代には、「奈良山の峰なほ霧らふ」(万2316)のような、反復·継続を表す助動詞「ふ」がありますた。「住まふ」「慣らふ」「計らふ」「呼ばふ」「移ろふ」はこの「ふ」が動詞語尾に固定して一語化したものです(「移ろふ」のように音変化したものもあります)。「仕へまつりまさへる[麻佐部流]ことをなも」(続紀宣命52)では、この「ふ」に「り」が接続しています。
キ形とケリ形
「き」と「けり」はともに連用形接続の助動詞で、次のように活用します。
| 未然形 | 連用形 | 終止形 | 連体形 | 已然形 | 命令形 |
|---|---|---|---|---|---|
| (せ) | 〇 | き | し | しか | 〇 |
| (けら) | 〇 | けり | ける | けれ | 〇 |
- 「き」の未然形「せ」は、「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今53)のような仮定条件のときだけに用いられます。この「せ」をサ変動詞とみる說がありますが、「降りにせば」(万3214)、「我が行けりせば」(万1497)、「流れざりせば」(古今302)のような承接例から、この「せ」をサ変動詞とみることは困難です。カ行とサ行に活用するのは、もともと別語だったカ行系の語とサ行系の語が混合したものでしょう。サ行系の語は「まし」と活用が同型です。「白腕(しろただむき)枕(ま)かずけばこそ」(記歌謡61)のような例に、「け」というカ行系の古い未然形が認められます。「ほととぎす言(こと)告げ遣りしいかに告げきや」(万1506)は、「き」と「し」がすでに異活用形態として成立している証拠です。
- 「き」は連用形接続ですが、連体形の「し」、已然形の「しか」は、サ変動詞とカ変動詞に対しては未然形に付きます(「せ-し」「せ-しか」「こ-し」「こ-しか」)。また、平安時代の「きし方」という言いかたに限り、カ変の連用形「き」+「し」という接続があります(奈良時代、鎌倉時代は「こし方」です)。終止形の「き」はカ変には付きません。
- 「けり」の未然形「けら」は「青柳は蔓にすべくなりにけらずや」(万817)のように上代だけ用いられました。なお上代には「けら+ず」のほかに「恋ひ止まずけり」(万3980)という承接順序もあり、中古になると「ざりけり」という語序で固定します。
「き」は時制専用辞で、発話者がその事態の真実性に関与している過去の事態を表します。多く、現在から隔たった過去に存在し、現在は存在しない過去の事態の回想に用いられます。
(1) 昨日こそ早苗とりしかいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く(古今172)
(2) 妹(いも)として(=亡キ妻ト共ニ)二人作りし我が山斎(しま)(=庭)は木高く繁くなりにけるかも(万452)
(3) 京より下りし時に、みな人、子どもなかりき。(土佐)
(4) まだ文章生(もんじやうのしやう)に侍りし時、かしこき女の例をなむ見給へし。(源·帚木)
(5) たしかに人の語り申し侍りしなり。(源·藤袴)
- 細江逸記は、トルコ語の過去を表す接尾辞には-diと-mishの二つがあって、yazdi=He wrote(in my presence)、yazmishi=He wrote(it is said)のように、-diは経験回想、-mishは非経験回想を表す、これが日本語の「き」と「けり」の使い分けに一致すろとして、「『き』は『目睹回想』で自分が親しく経験した事柄を語るもの、『けり』は『伝承回想』で他よりの伝聞を告げるのに用ひられたものである。」と主張しました。この説のうち、「き」が経験した過去を表すというのは、中古物語の会話文に限っていえば、ほぼ例外なく当たるようです。次例では、発話者の事態への関与性の有無によってキ形とケリ形とが使い分けられています。
- いときなきよりたづさひし者の、いまはのきざみにつらしとや思はむと思う給へて、まかれりしに、その家なりける下人(しもびと)の病(やまひ)しけるが、にはかに出であへで亡くなりにけるを、怖ぢ憚りて、日を暮らしてなむ取り出で侍りけるを、聞きつけ侍りしかば(源·夕顔)<源氏ノ詞>
- 然し、「けり」が非経験の過去を表すというのは、必ずしもあたらないようです。例えば、次例では、かがや姫が同じ事実を述べるのに、➀では「き」を、➁では「けり」を用いています。また、下例(13)でも発話者が直接経験した過去の事態にケリ形が用いられています。
- 片時の間とて、かの国よりまうで来しかども(竹取)
- 昔の契ありけるによりなむ、この世界にはまうで来たりける。(竹取)
- 次例は発話者が直接経験した過去の事態ではありませんが、事態に対する真実性が確信されているためにキ形が用いられたと考えられます。
- 香具山と耳梨山とあひし時[阿菩大神ガ]立ちて見に来し印南国原(万14)
- 松浦潟佐用姫の児が領布(ひれ)振りし山の名のみや聞きつつ居(を)らむ(万868)
- 古(いにしへ)の小竹田(しのだ)壮士(をとこ)問ひし莬原(うなひ)処女(をとめ)の奥(おく)つ城(き)ぞこれ(万1802)
- 近江大津宮に大八島国知らしめしし[之]天皇が大命として(続紀宣命13)
- 継母なりし人は、宮仕へせしが[父ト共ニ上総ニ]下りし[人]なれば(更級)
- 上代、連体形「し」に、アスペクトの「たり」のような意で用いられた例がみえます(古い時代の用法の痕跡かと思われます)。
- 天皇、その[猪ノ]うたき(=唸リ声)を畏(かしこ)みて、榛(はり)の木の上に登り坐しき。かれ歌ひ給ひしく、「やすみしし我が大君の遊ばしし猪(しし)の病み猪のうたき畏み我が逃げ登りしありをの(=目立ツ丘ノ)榛の木の枝」(記歌謡98)
「けり」は、テンス的意味として、➀過去に起こって現在まで持続している(また結果の及んでいる)事態、➁発話者がその事態の真実性に関与していない過去の事態を、認識的意味として、➂気づかなかった事態に気づいという認識の獲得(気づき)を表します。例をあげます。
潮待つとありける船を知らずして悔しく妹を別れ来にけり(万3594)
鶏(とり)が鳴く東(あづま)の国に古(ににしへ)にありけることと今までに絶えず言ひける(万1807)
みやびをに我はありけり(万127)
次例では第一例が➀、第二例が➁、第三例が➂を表しています。
(6)常磐なす岩屋は今もありけれど住みける人そ常なかりける。
➀➁➂の意は、その性質上、真偽疑問文をもちません(従って、「けり」はほとんど問いの文に現れません)。
➁の用法を伝承過去(reported past)といい、(7)のように用いられます。特に(8)を物語過去(narrative past)といいます。
(7) 昔、阿倍仲麻呂といひける人は、唐土(もろこし)にわたりて、帰り来ける時に、…漢詩(からうた)作りなどしける。(土佐)
(8) 今は昔、竹取の翁といふものありけり。(竹取)
- 一般に、物語中の「今」は、表現時(または我々が物語を読んでいる<今>)からは過去と位置づけられます。そのような物語中の「今」に「けり」が用いられ、物語内部での過去に「き」が用いられると考えられます。
近い過去の事態に対する伝承過去は、伝聞の「なり」の過去形という色彩をおびます。
(9) [兼家ガ来ナイ理由ヲ]参りて聞かむ、とて[道綱ガ兼家邸ニ]ものす。「昨夜(よべ)は悩み給ふことなむありける(=アッタソウデス)。[兼家ハ]『にはかに、いと苦しかりしかばなむ、えものせずなりにし』となむのたまひつる」と言ふしもぞ、…(蜻蛉)
➂の用法は、(10)のような例のほか、(11)(12)のように未来の事態にも、(13)のように発話者の体験した過去の事態にも用いられ、(14)のように意外性(mirativity)も示します。
(10) 手を打ちて、「あがおもとにこそおはしましけれ。…」といとおどろおどろしく泣く。(源·玉蔓)
(11) 「今宵は十五夜なりけり」と思し出でて(源·須磨)
(12) 式部卿宮、明けむ年ぞ五十になり給ひけるを(源·少女)
(13) 「明後日(あさて)ばかり、また参り侍らむ。…」とてまかり出でぬ。三日ばかりありて、少将がもとより、「くやしくぞ後に逢はむと契りける今日を限りと言はましものを」さて、その日失せにけりとぞ。(古本説話集11)
(14) あさましう、犬などもかかる[人間同様ノ]心あるものなりけり。(枕6)
(14)のような用法からは、後に、詠嘆といわれる用法が生じます。
(15) 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
- 「昔、世心つける女、いかで心情(なさけ)あらむ男にあひ得てしかなと思へど、言ひ出でむも頼りなさに、まことならぬ夢語りをす。」(伊勢63)のような例にも注意されます。
現在·未来
現代語では、動作を表す動詞のɸ形は未来を、状態を表す動詞のɸ形は現在を表しますが、古代語では、ɸ形がそのまま現在(即ち現在進行中の事態)を表したようです。
(1) 湊風寒く吹くらし奈呉の江に偶(つま)呼び交はし鶴(たづ)ちはに鳴く(万4018)
(2) 竜田川もみぢ葉流る神なびのみむろの山に時雨降るらし(古今284)
(3) 我が庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり(百8)
(4) 惟光に、「この西なる家は何人(なにびと)の住むぞ。問ひ聞きたりや」とのたまへば(源·夕顔)
(5) 「道定朝臣は、なほ仲信が家にや通ふ」「さなむ侍る」と申す。(源·浮舟)
現代語のように、ɸ形が未来を表すことはなかったようですが、次のような例がみえることが指摘されています。
(6) 「この月の二十八日になむ舟に乗り給ふ。…」と言ひたれば(落窪)
(7) 明日渡るとなむ聞く。(落窪)
(8) 宮の御前に御消息聞こえ給へり。「院におぼつかながりのたまはするにより、今日なむ参り侍る。…」とあれば(源·葵)
未来は、一般に、ム形で表されます。
(9) 春日野に時雨降るみゆ明日よりは黄葉(もみち)かざさむ高円(たかまと)の山(万1571)
(10) み吉野の山の嵐の𪧑けくにはたや今夜(こよひ)も我がひとり寝む(万74)
この「む」は推量の形式であって、テンス形式ではありません。ただし、連体修飾句が未実現(未来)の出来事をあらわすとき、古代語ではほとんど義務的にム形が現れるようです。
(11) ぬばたまの今夜(こよひ)の雪にいざ濡れな明けむ朝(あした)に消(け)なば惜しけむ(万1646)
(12) 翁のあらむ限りは、かうてもいますかりなむかし。(竹取)
(13) 船の帰らむにつけて賜(た)び送れ。(竹取)
(14) 月の出でたらむ夜は、見おこせ給へ。(竹取)
(15) 翁顔を探るに、年ごろありし瘤跡なく、かいのごひたるやうにつやつや無かりければ、木こらむことも忘れて家に帰りぬ。(宇治1-3)
(16) おのれ死なむ後には、この所をば寺を建て給へ。(今昔15-27)
この「む」を「婉曲」とか、現代語に訳せないとかいうのは不当です。現代語では、連体修飾句が未実現(未来)の出来事を表すとき、
(17) 検査を受けた人はこちらに、検査を受ける人はこちらに並んでください。
の傍線部のように、ル形によって表します。(11)~(16)のム形は、現代語のル形(無標形)に対応しています。
従属節のテンス
前節用例(16)に、「おのれ死なむ後には」とありました。また、古代語では次のような例があります。
(1) 御身くづほれ(=衰弱)させ給はざりしさきに、などか仰せられざりし。(宇治4-8)
このような「*する後で」「*した前に」という言いかたは、現代語にはありません。現代語では、
(2) 「逮捕された後でも、解雇しないつもりよ。」(赤川次郎『女社長に乾杯!』)
(3) 「美濃の旦那様が、その最期をとげられる前に、おぬしに、京の御料人様に報らせよ、と言い置きなされたか」(司馬遼太郎『国盗り物語』)
のように、未来の出来事でも「逮捕されたでも」、過去の出来事でも「とげられる前に」としか言えません。(2)は、従属節時、主節時ともに発話時からみて未来ですが、従属節はタ形、主節はル形になっています。ここで従属節時がタ形をとるのは、従属節時が主節時からみて過去だからです。同様に、(3)は従属節時、主節時ともに発話時からみて過去ですが、従属節はル形、主節はタ形になっています。ここで従属節時がル形をとるのは、従属節時が主節時からみて未来だからです。現代日本語では、主節は、発話時を基準としてテンスが表示されますが(これを発話時基準といいます)、相対名詞節(「~前」や「~後」を相対名詞節といいます)では、主節を基準としてテンスが表示されます(これを主節時基準といいます)。一方、前節用例(16)、本節用例(1)にみるように、古代語では、相対名詞節のテンスも主節同様、発話時基準であったと考えられます。
連体修飾節については、現代語で次のような現象が観察されます。
(4) a 昨日、{はげしい/*はげしかった}雨が降りました。
(4) b {*はげしい/はげしかった}雨が夕方やっと小降りになりました。
この現象については、(4a)のような限定修飾の連体修飾節は主節時基準に、(4b)のような非限定修飾は発話時基準になるといわれます。古代語では、(4)に対応する例として、
(5) a 俊蔭は、激しき波風におぼほれ、知らぬ国に放たれしたど(源·絵合)
(5) b さばかり激しかりつる波風に、いつの間まにか舟出しつらむと、心得がたく思へり。(源·明石)
のような例が拾えますが、古代語における連体修飾節のテンスのしくみについては、今のところ不明です。